伝説のアイドル”山口百恵”
1972年12月 オーディション番組「スター誕生!」で準優勝し芸能界へ
1973年4月 映画「としごろ」で女優としてデビュー 5月21日 同名の曲で歌手としてもデビュー
同じく「スター誕生!」出身の"森昌子"さん"桜田淳子"さんと共に「花の中三トリオ」と呼ばれ人気を得る。
デビュー時のキャッチコピーは「大きなソニー、大きな新人」チョッと笑えますが、2枚目のシングルから「青い性路線」と呼ばれる大胆な歌詞の曲を歌い、まだ幼い容姿とのギャップで"山口百恵"という独特の存在を確立しました。
1979年10月20日 大阪厚生年金会館のリサイタルで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と恋人宣言
1980年10月5日 日本武道館での「ファイナルコンサート」では、「私のわがまま、許してくれてありがとう。幸せになります」とメッセージを残し、ラストの曲「さよならの向こう側」を涙を流しながら歌唱すると、ステージ中央にマイクを置き芸能界に別れを告げました。
この時の百恵ちゃんの年齢は21歳!
デビューから7年半ほどの活動で、シングルは31作の累計で1630万枚、LPは45作の累計で434万枚
1970年代に最もレコードを売り上げた歌手でした。
ファイナルコンサートの翌日 10月6日の「夜のヒットスタジオ」では引退特集番組が放送され、歌手仲間からの祝福の中「「さよならの向こう側」を熱唱
”ポスト百恵” 三原順子(三原じゅん子)
"三原順子"さんは、小学生の時に「東京宝映テレビ・劇団フジ」に入団し子役として活動を開始されています。
1979年に放送されたドラマ「燃えろアタック」へ出演し本格的にデビューすると、同じ年に放送されたドラマ「3年B組金八先生」で演じたツッパリ少女「山田麗子」役が当たりブレイク
1980年には、「セクシー・ナイト」で歌手としてもデビューされています。
ハスキーな声と大人びた雰囲気から「ポスト百恵のエース」と注目を集め、80年代前半の「ツッパリ路線」を一手に担っていました。
20歳の誕生日に本名の「三原順子」から「三原じゅん子」へ改名し又、「JUNKO」というアーティスト名義でハードロックバンドのライブ活動をされていた時期もあります。
1987年から1999年にかけては、女優として活動する傍ら国際B級ライセンスを取得してカーレーサーとしても活動。
2008年「子宮頸癌」を発症し子宮を摘出した経験から医療や介護問題への関心が深まり、2010年からは自ら介護施設の経営に乗り出されていました。
2010年「第22回参議院議員通常選挙」に自民党 から出馬し当選。芸能界を引退されました。
"三原じゅん子"さんはなぜ政治家へ転身されたのか?
2019年2月に放送されたTV番組「直撃!シンソウ坂上」で次のように放送されていました。
三原じゅん子、24歳下の夫をテレビ初公開 政治家転身の理由も告白 | ORICON NEWS
三原じゅん子の現在 2020年9月 厚生労働副大臣に就任
プライベートでは、歌手としてデビュー直後に俳優の"宮脇康之"(現・宮脇健)さんとの交際宣言をされたり、
1990年 レーシングドライバーの"松永雅博"氏と結婚(1999年離婚)
1999年 お笑い芸人の「コアラ」と再婚(2007年離婚)
現在は、2016年に元秘書の"中根雄也"氏と24歳差の結婚をされています。
”ポスト百恵” 浜田朱里
"浜田朱里"さんは、1980年「さよなら好き」で歌手デビュー
その年に引退が決まっていた"山口百恵"さんの持つ雰囲気に似ていた為、周囲は「ポスト百恵」を狙っていたと言われています。
「さよなら好き」のジャケットをみると、ホントに!狙ってますね。
そして浜田さんは、レコードリリースに先駆けて百恵ちゃんがほぼ主役を務めてきたドラマ 「赤いシリーズ」の9作目「赤い魂」(80年4~9月)に主役で出演されています。
"ポスト百恵"争奪戦に大きく名乗りをあげた"浜田朱里"さんですが、当時は"松田聖子"さんを筆頭にアイドル全盛期で又、アイドル像が少しずつ変わっていた時期でもあった為か、歌手としては一般的に認知されるようなヒットが出せませんでした。
その後、グラビアやバラエティに活動の場を移し、一時休業後 女優として活躍されていました。
1990年にはヌード写真集「ハーフ・ムーン」を発売し周囲を驚かせました。
浜田朱里の現在 結婚後 1995年に出産のため引退