新井薫子のプロフィール
まずは新井薫子のプロフィールからご紹介します。
本名:新井薫子(あらいかおるこ)
生年月日:1965年6月4日
出身:愛知県名古屋市
キャッチフレーズ:瞳・少・女
最終学歴:堀越高校中退
薫子という名前が、いかにも令嬢という感じで素敵でした。
眼がとてもキレイなので、瞳・少・女というキャッチフレーズも納得です。
新井薫子の芸能活動
新井薫子は花の82年組と呼ばれた1982年に、TDKコアが手掛けた初の新人としてデビューしています。
シングルも6曲リリースしていました。
新井薫子 - Wikipedia
正統派アイドルらしいビジュアルで、鳴り物入りのデビューでしたが気の毒なことに、1年ほどで多忙から腎臓を悪くして4か月の入院をしています。
地元である名古屋の病院に入院していますので、堀越高校も中退していました。
快復後は端役(1986年ドラマ・花嫁人形は眠らない雅子役など)などでテレビにも出演していましたが、アイドルとしての活動は終了しています。
中森明菜や小泉今日子など、可愛いだけでなく歌唱力のあるアイドルが人気を博していたので、長期休養後はアイドルとしてのポストがなかったのかもしれません。
首振りが印象的で振付の大げさな「大和撫子”春”咲きます」は結構好きだったので、残念でした。
1993年にはサイケポップユニット「theTABLES』を結成し中野薫子・KAORUCO名義で音楽活動も展開しています。
新井薫子の死亡説とは?
1980年代後半だったと思いますが、「新井薫子が拒食症で体重が20キロ代に落ちて亡くなった」という噂を耳にしてビックリしました。
私が聞いたのは、「痩せたらもっと可愛くなる」と言われてダイエットを頑張り過ぎたために拒食症となり、亡くなった時の体重は20キロ代だったといういう物です。
内容については様々だったと思いますが、こちらは都市伝説でした。
療養のために芸能界を休業して、姿が見えなくなった事でこんな噂が流れてしまったのでしょう。テレビで元気な姿を見せてくれた時は、嬉しかったです。
新井薫子の現在は?
病気療養中に趣味だった日本画や絵本を学んだ新井薫子は、1980年代後半にイラストレーター・現代美術家に転身していました。
もともと芸術的な才能を持っていたのですね!療養中は焦りもあったかと思いますが、日本画や絵本を学ぶ意欲は凄いですね。
そして2007年には活動拠点をニューヨークに移し、カオルコ・KAORUKOの名義で活動しています。
そして現地では個展も開いていました。死亡説どころかかなり精力的に活動されていますよね。
松本伊代との不仲説とは?
実は同じ82年組で同期の松本伊代は、新井薫子に共演をオファーしましたが(しかも2回)どちらも断られてしまい、「あいつ今何してる」でその真相に迫っていました。
なぜ断ったのか?「共演オファーを知らなかった」というとても単純な理由で、仲が悪いとか嫌われている訳ではありません。
ただこの時の松本伊代の発言が、上から目線ではないかとプチ炎上していました。