おニャン子クラブから実力派歌手へ!工藤静香さんのヒット曲まとめ

おニャン子クラブから実力派歌手へ!工藤静香さんのヒット曲まとめ

おニャン子クラブとしてデビューし、その後ソロデビューを果たした工藤静香さん。今では実力派歌手として活動されていますよね。工藤さんのヒット曲をまとめました。


ソロデビューまで

工藤静香さんは、幼少期に劇団「東俳」に所属していました。小さい頃から芸能界にいたんですね。

その後、1984年の中学2年生の時に第3回「ミス・セブンティーンコンテスト」に応募し、特別賞を受賞。木村亜希さん(後の清原亜希さん)、柴田くに子さん(後の森丘祥子さん)と3人で"セブンティーンクラブ"を結成。レコードデビューしますが2枚のCDをリリースして解散します。

高校入学後にフジテレビ系『夕やけニャンニャン』の「ザ・スカウト アイドルを探せ!」でおニャン子クラブの会員に。会員ナンバー38として活動を始めます。

1986年に渡辺満里奈さんのソロ曲でバックコーラスを務め、その後徐々に人気が出てきます。

1987年には生稲晃子さん・斉藤満喜子さんと「うしろ髪ひかれ隊」を結成し、活動します。おニャン子クラブの楽曲でもセンターをつとめ、後期のおニャン子クラブの中で知名度や人気を上げていきました。

1987年に夕焼けニャンニャンの最終回の日に「禁断のテレパシー」でソロデビューを果たします。いきなりオリコン1位を獲得しました。

「抱いてくれたらいいのに」

1998年には3枚目のシングル「抱いてくれたらいいのに」をリリース。当時まだ高校生だったので制服を着てスタジオに通っていたそうです。

制服を着てこんなタイトルの歌を歌っていたなんて、今だったらあり得ないですね。(制服でテレビ出演していたわけではないですが)作詞は松井五郎さん、作曲は後藤次利さんです。

高校生でありながら色っぽい雰囲気があるのも工藤さんの魅力でしたよね。こちらはオリコンチャート3位でした。

「MUGO・ん…色っぽい」

5枚目のシングルは「「MUGO・ん…色っぽい」」です。カネボウ'88秋のプロモーション・イメージソングに起用されました。

作詞は中島みゆきさん、作曲は後藤次利さん。中島みゆきさんの楽曲提供は、4枚目のシングル「FU-JI-TSU」からでした。

プロモーションのキャッチコピーが「ん、色っぽい」で、中島さんが作詞の依頼を受けた時にキャッチコピーをタイトルと歌詞に入れてほしいと依頼があったそうで、大変苦労したのだとか。中島さんらしくないタイトルだと思っていたのですがこのエピソードを聞くと納得です。

テレビに出演した時は感想中に工藤さんがささやいていてなんて言っているのか話題になりました。が、特に決まったセリフはなく毎回違うことをささやいていたそうです。

こちらの楽曲は週間オリコンチャート1位で、年間チャートでも6位に入っています。「FU-JI-TSU」から11枚目の「私について」まで8枚連続で1位を獲得しているんですよ。

「嵐の素顔」

1989年には7枚目のシングル「嵐の素顔」をリリース。こちらは作詞、三浦徳子さん、作曲、後藤次利さんです。

この曲は顔の横で手をL字に動かす振り付けが印象的でしたよね。当時真似していたという人も多いのではないでしょうか。元々この振り付けは一番と二番の間奏で行われていて、頭サビの後は違う振り付けでした。ですがこの振り付けが注目され、物まねなどもされるようになったため、のちに冒頭からこの振り付けをするようになったそうです。本家が物まねに寄せていったんですね。

街で声をかけられたときにいきなりこの振り付けをされることもあったそうです。印象が強いとそうなるんですね。

「黄砂に吹かれて」

8枚目のシングルは「黄砂に吹かれて」。太陽誘電カセットテープ「That's OW-1」のCMソングでした。

バラードで今までの楽曲とは少しイメージが違いましたよね。いまだに黄砂が強く吹いている日はこの曲が頭に浮かびます。

作詞は中島みゆきさん、作曲は後藤次利さんです。

オリコンチャートも週間1位でしたが、TBS系『ザ・ベストテン』の最終回でも1位になった曲です。長寿音楽番組のラストを飾ったというのはうれしかったでしょうね。

「慟哭」

その後も数々のヒット曲をリリースし続けていた工藤さん。ちょっと飛びますが1993年には「慟哭(どうこく)」をリリース。

フジテレビ系列のドラマ「あの日に帰りたい」の主題歌でした。姉妹で同じ人を好きになってしまうという物語で工藤さんも妹役で出演していました。

『ひと晩じゅう 泣いて 泣いて 泣いて』というフレーズが印象的でしたよね。失恋すると歌いたくなるという人も多いのではないでしょうか。

この曲は5作品ぶりにオリコン1位を獲得。売り上げは93万枚で工藤さん最大のヒットソングとなりました。

「Blue Velvet」

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