映画「男はつらいよ」のベストマドンナ:吉永小百合・浅丘ルリ子・若尾文子・榊原るみ・八千草薫 ほか

映画「男はつらいよ」のベストマドンナ:吉永小百合・浅丘ルリ子・若尾文子・榊原るみ・八千草薫 ほか

映画「男はつらいよ」に出演した前田吟さん(寅次郎の妹さくらの夫・諏訪博役)と佐藤蛾次郎さん(柴又題経寺の源吉役)がベストマドンナをセレクトしました。(週刊現代 2016年新春特別版 国民の映画『男はつらいよ』 「寅さん」渥美清を語ろう より)


八千草薫 「男はつらいよ」第10作「寅次郎夢枕」(1972年12月29日)

『男はつらいよ 寅次郎夢枕』(おとこはつらいよ とらじろうゆめまくら)は、1972年12月29日に公開された日本映画。男はつらいよシリーズの10作目。同時上映は『舞妓はんだよ全員集合!!』。
国鉄の「ディスカバー・ジャパン」のキャンペーンポスターにも使用された。

寅次郎が旅先から帰ってみると、幼馴染の千代(八千草薫)が美容院を開業していた。「お千代さん」と再会した寅次郎は、その美しさにたちまち友達以上の感情を抱くようになり、暇を見つけては千代との逢瀬を楽しんだ。

ところが、とらやに間借りしている大学教授(米倉斉加年)も密かに「お千代さん」に好意を抱いていたことが発覚。寅次郎とは初対面のとき、礼に則って的屋流 、話はどんどんややこしくなっていく。「私、寅ちゃんとなら一緒に暮らしてもいい」奮闘篇に続きプロポーズされるが…。
(出典:Wikipedia「男はつらいよ 寅次郎夢枕」)

「男はつらいよ」第10作「寅次郎夢枕」(1972年12月29日)のマドンナ・志村千代役:八千草薫

八千草 薫(やちぐさ かおる、1931年(昭和6年)1月6日 - )は、日本の女優。所属事務所は柊企画。大阪府出身。プール女学院出身。愛称はヒトミ、ヒトミちゃん(本名に由来)。公称身長154センチ。

幼少時に父を亡くし、母一人・子一人で育つ。思春期がちょうど戦時中であり、自宅も空襲で焼け、「色のある」「夢のある世界」に飢えていたことから華やかな世界にあこがれた。

プール女学院在学中に宝塚音楽学校に合格し、1947年に宝塚歌劇団入団(同期には淀かほる、百ちとせらがいる)。宝塚入団時の成績は50人中19位。

入団当初は『分福茶釜』の狸などコミカルな役を当たり役としたが、1952年『源氏物語』の初演で可憐で無垢な若紫(紫の上の少女時代)を内・外面とも見事に表現し、絶大な評判と人気を博した。以降は美貌・清純派の娘役として宝塚の一時代を風靡、同年から劇団内に新設された映画専科に所属した。1951年の『虞美人』、1952年の『ジャワの踊り子』にも出演している。

宝塚在団中から東宝映画などの外部出演をこなしており、当時のお嫁さんにしたい有名人の統計で、たびたび首位に輝いた。
1957年5月31日付で歌劇団を退団。最終出演公演の演目は花組公演『みにくい家鴨の子/王春讃歌』。

退団後はテレビドラマでのおっとりとした良妻賢母役が好評で、多くの作品に出演。一方、『岸辺のアルバム』での家族に隠れて不倫する主婦役では従来のイメージを覆し、テレビドラマ史に残る名作となった。

私生活では1957年に映画監督の谷口千吉と結婚。人気・好感度絶頂の八千草と、親子ほどの年の差があり、しかも三度目の結婚となった谷口の組み合わせは当時多方面で話題・波紋を呼んだ(夫婦に子はなかったが、おしどり夫婦として知られ、結婚50年目となった2007年に死別するまで連れ添った)。

「宝塚時代の経験が、仕事はもちろん、趣味の山歩きでも活きている」と述べており、自然環境保全審議会委員を務めたこともある。

穏やかな外見とは裏腹に、『赤い疑惑』では、主演の山口百恵のスケジュールの都合で細切れ断片的な収録を余儀なくされたことに納得できず、自ら途中降板するなど、仕事に妥協しない厳しい一面も持っている。
(出典:Wikipedia「八千草薫」)

八千草薫 「男はつらいよ」第10作「寅次郎夢枕」(1972年12月29日)

八千草薫(寅さんの幼馴染・志村千代役)さんは寅さんと結婚するんじゃないか、と思わせる雰囲気に酔う(佐藤蛾次郎)

八千草薫 「男はつらいよ」第10作「寅次郎夢枕」(1972年12月29日)

八千草薫 「男はつらいよ」第10作「寅次郎夢枕」(1972年12月29日)

八千草薫 「男はつらいよ」第10作「寅次郎夢枕」(1972年12月29日)

八千草薫 「男はつらいよ」第10作「寅次郎夢枕」(1972年12月29日)

岸惠子 「男はつらいよ」第12作「私の寅さん」(1973年12月26日)

『男はつらいよ 私の寅さん』(おとこはつらいよ わたしのとらさん)は、1973年12月26日に公開された日本映画。男はつらいよシリーズの12作目。同時上映は『大事件だよ全員集合!!』。

小学校時代の無二の親友で放送作家の柳文彦(前田武彦)と数十年ぶりに再会した寅次郎は、誘われるままに彼の妹の家を訪れた。そこで出会ったのが、文彦の妹で画家のりつ子(岸惠子)だった。

寅次郎とりつ子は初対面なのに、のっけから売り言葉に買い言葉で大ゲンカを始めてしまう。しかし、そのりつ子が病に倒れ、それを聞いた寅次郎が看病に駆けつけたことで、二人は和解。りつ子の病状回復と反比例するかのように、寅次郎はどんどん恋の病に蝕まれていくのであった。

冬は温暖な所へ、夏は涼しい所へ。寅次郎の旅の原型はこの作品から明確になった。

とらやの面々が九州に旅行するという珍しいシーンも収められている。
九州へ旅行するにあたって、おばちゃんが「私は箱根より西に行くのは初めてなんだよ」と言っているが、実際には第三作で湯の山温泉(三重県)に行っている。
(出典:Wikipedia「男はつらいよ 私の寅さん」)

「男はつらいよ」第12作「私の寅さん」(1973年12月26日)のマドンナ・柳りつ子役:岸恵子

岸 惠子(きし けいこ、1932年8月11日 - )は、女優・文筆家。岸恵子の表記もある。身長161cm。体重47kg。舞プロモーション所属。

神奈川県横浜市神奈川区生まれ。1945年5月の横浜大空襲で被災。高校在学中に小牧バレエ団に通う。神奈川県立横浜平沼高等学校卒業。

もともとは作家志望で川端康成を耽読した。高校時代に観た『美女と野獣』に魅せられ、映画に興味を持ち、田中敦子(小園蓉子)と松竹大船撮影所を見学するうちに、吉村公三郎にスカウトされ、断ったが後に「本物の女学生が欲しいと頼まれて1本だけの約束で、1951年に大学入学までという条件で松竹に入社し、映画『我が家は楽し』でデビューするがヒットしてそのまま女優になった。

1952年には『坊ちゃん重役』で鶴田浩二と佐田啓二の相手役を務める。5月、松竹の看板スターであった鶴田が、戦後のスタープロ第1号となる新生プロを設立して独立。第1作として、新東宝配給『弥太郎笠』の制作にあたり、鶴田の相手役のヒロインとして岸にオファーを出すが、松竹は拒否したため岸は辞表を出す。結局松竹が折れて、岸は映画に出演。

続いて、新生プロの『ハワイの夜』でも鶴田と共演しヒットとなる。この頃、鶴田との恋愛関係が報道されたが、松竹に強引に別れさせられた。

1953年から1954年にかけて映画『君の名は』3部作がヒットする。以降、松竹の看板女優として絶大な人気を誇った。一方1954年には有馬稲子、久我美子とともに「文芸プロダクションにんじんくらぶ」を設立した。

1956年、フランス・日本合作映画『忘れえぬ慕情』に出演。1957年、『忘れえぬ慕情』の撮影がきっかけで、フランス人の映画監督イヴ・シャンピと結婚。挙式はフランスで、川端康成が立会人となった。

以降、パリに居を構え、フランスと日本を往復しながら女優を続け、「空飛ぶマダム」と言われた。この頃に、ジャン=ポール・サルトル、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、アンドレ・マルロー、ジャン・コクトーらと親交を持つ。

また1963年には1人娘のデルフィーヌ=麻衣子・シャンピ (Delphine Ciampi) を出産した。しかし1975年、イヴ・シャンピと離婚。娘の親権は岸が持った。
1996年、国連人口基金親善大使に任命された。
(出典:Wikipedia「岸惠子」)

岸惠子 「男はつらいよ」第12作「私の寅さん」(1973年12月26日)

岸惠子さんに最初会ったとき外国人かと思うほど独特な女優の風格を備えていた(佐藤蛾次郎)

岸惠子 「男はつらいよ」第12作「私の寅さん」(1973年12月26日)

岸惠子 「男はつらいよ」第12作「私の寅さん」(1973年12月26日)

岸惠子 「男はつらいよ」第12作「私の寅さん」(1973年12月26日)

岸惠子 「男はつらいよ」第12作「私の寅さん」(1973年12月26日)

太地 喜和子 「男はつらいよ」第17作「寅次郎夕焼け小焼け」(1976年7月24日)

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