二代目SMの女王として活躍した麻吹淳子さん
麻吹淳子さんのプロフィール
麻吹淳子さんの経歴
大分県別府市で生まれ育った麻吹淳子さんは、東大阪女子短期大学の児童学科を卒業されると、スカウトされるかたちで、モデル・タレントとして芸能界デビュー。当時は『榊淳』を名乗って、グラビアや一般映画にも端役として出演され、深夜のラジオ番組のDJもしていました。しかし、なかなかメジャーな存在にはなれないでいました。
1979年に日活ロマンポルノの新人女優コンテストに応募して、3位に入賞。ポルノ作品に出演するようになると、ヌードになったときの豊満ボディーに人気が集まり、日活ロマンポルノでは初代SMの女王として人気だった谷ナオミさんに次ぐ二代目として活躍されるようになります。
和服のイメージが強い初代SMの女王・谷ナオミさんとは違って、麻吹淳子さんは、ナース・OL・秘書・教師といった職業の女性を演じることが多く、現代的な洋服姿の女性がSMの倒錯に堕ちていくという世界観を表現していました。
1981年には引退を表明され、ポルノ女優としてだけではなく、芸能界という表舞台からも身を退いています。ポルノ作品への出演は約2年と短い印象ですが、その原因は健康状態によるものと言われています。
麻吹淳子さんのエピソード
記者会見でトップレス姿を披露
麻吹淳子さんが初主演を務めた団鬼六さん原作の映画『白衣縄地獄』。制作・公開を発表する記者会見の場で、彼女は黒いパンティーのみをまとったトップレス姿を披露して、当時は大きな話題となりました。
さらには、その場に集まったマスコミ陣の目の前で緊縛ショーが行なわれたとのことです。作品のためとはいえ、そこまで体を張ってプロモーションをした事実は、彼女自身の高いプロ意識の表れといえるでしょう。
学園祭で緊縛ショーを行なう
人気全盛期だった1980年前後のエピソード。大学の学園祭に呼ばれた麻吹淳子さんは裸体を披露し、緊縛ショーを行なったという逸話が残っています。こういった催しが許された時代だったということも凄いですが、その場にいた学生に縛らせるというサービスもしていたというから驚きです。
ポルノ女優を引退した後の生活ぶり
恩師だったはずの団鬼六さんですら、引退した麻吹淳子さんと連絡を取る手段はなかったそうです。そのため、彼女の引退後の確かな情報は掴めないのですが、風のウワサを紹介しておきますね。
・六本木でSM倶楽部のママをしている
・『五十路萌子』を名乗ってブログ運営
・新宿のスナックで勤務
・地元の大分県でひっそり暮らしている
いずれも真偽のほどは定かではありませんので、こういったウサワがあるという認識程度に捉えておいてください。
麻吹淳子さんの主な代表作品
一般映画
彼女の『榊淳』名義で出演していた作品をいくつか紹介させていただきます。
内容&あらすじ
やくざであるがゆえに、影から少女の幸せを見守り続ける男。チャイコフスキーのメロディーにのせて、高倉健が男の哀歓を格調高く謳いあげる超大作。名ギタリスト、クロードチアリが初めて映画音楽を担当。
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総長の首』