エロ映画が量産された日本映画界の「ハレンチ・ブーム」の考察:「東映ポルノ」と「日活ロマンポルノ」から「ビニ本全盛期」「AV時代へ」

エロ映画が量産された日本映画界の「ハレンチ・ブーム」の考察:「東映ポルノ」と「日活ロマンポルノ」から「ビニ本全盛期」「AV時代へ」

1968年、石井輝男監督のエログロな東映ポルノ『徳川女系図』の大ヒット以降、大映、日活、松竹もヌード映画の製作を開始しました。エロ映画が量産され、日本映画界にセックス旋風が吹き荒れて「ハレンチ・ブーム」に沸きました。そして成人映画から人気女優もたくさん生まれました。日活ロマンポルノ史上もっとも美しい女優「高倉 美貴」や日活ロマンポルノのトップ女優「白川和子」、「警視庁のアイドル」とも呼ばれた「田中真理」、史上最年少のポルノ女優「山川レイカ」(当時16歳)など当時の人気女優も振り返ります。一般家庭にもVHSビデオデッキが普及し、巷にレンタルビデオ店が大量に出現し、低料金でレンタルできるようになった1980年代後半には、成人映画の劇場に足を運ぶ人は減る一方となりました。


日活ロマンポルノの歴史に名を残す看板女優「高倉 美貴」

高倉 美貴(たかくら みき、本名:原田美貴(はらだ みき)(旧姓:越沢美貴)、1960年12月14日 - )は日本の女優。現在、原田伸郎の妻。

北陸学院高校卒業後、子供服のデザイナーを目指して上京し、原宿のブティックに勤めていた時にその美貌と妖艶なスタイルがスカウトの目にとまり、本名と一字違いの「越沢美紀」の芸名でモデルとして芸能活動を始め、阪急交通社やカネボウ等のCM、ポスター、雑誌GOROのグラビア等に出演した。

「高倉 美貴」のロマンポルノ時代

1983年、映画会社のにっかつに見出され、芸名を「高倉美貴」とし、ポルノ映画で女優デビューする。 

高校では映研の部長を務めるなど映画への関心は強かったものの、内容を巡り出演に難色を示した高倉に対して、にっかつサイドは全く無名のモデルだったにもかかわらず主役に抜擢し、新人としては驚くほど破格のギャラを提示した。

また、制作予定の映画の原作者である団鬼六自ら出演交渉に乗り出し、ポルノ映画出演に反対する母親も同席させて説得にあたったという。 

ロマンポルノ出演にあたり四作品に主演することが契約条件に盛り込まれたが、にっかつサイドの強い要望により結局五作品に主演した。 

また、団鬼六をして日活ロマンポルノ史上もっとも美しい女優と言わしめた。 育ちの良さを漂わす雰囲気、長い黒髪、日本人離れした容貌とスタイルから和製オリヴィア・ハッセーの異名をとるとともに、清楚で気品溢れるイメージからは余りにもかけ離れた大胆な演技で話題を呼んだ。

谷ナオミ、麻吹淳子につづく「3代目日活SMの女王」とのキャッチフレーズで売り出され、昭和50年代後半には週刊誌、グラビア誌等、多くのメディアで連日のように彼女の写真や映像が取り上げられ、デビューから僅か3年足らずで、日活ロマンポルノの歴史に名を残す看板女優へと成長した。
(出典:Wikipedia「高倉美貴」)

日活ロマンポルノの歴史に名を残す看板女優「高倉 美貴」 日活ロマンポルノ史上もっとも美しい女優

日活ロマンポルノ史上もっとも美しい女優「高倉 美貴」

ロマンポルノ史上最も美形な女優「高倉 美貴」

ロマンポルノ史上最も美形な女優「高倉 美貴」

日活ロマンポルノ事件(1972年)

「エロスの女闘士」や「警視庁のアイドル」とも呼ばれた「田中真理」

田中 真理(たなか まり、1951年8月1日 - )は、日本の女優。東京都出身。初期には田中マリ名義で活動していた時期がある。

高校在学中の1967年、スカウトされて日活に入社。1969年、田中マリの名で『女番長 仁義破り』にて映画デビュー。高校卒業後、日活と再契約して田中真理となり、テレビにも進出。当時人気の高かったバレーボールを題材にしたスポ根ドラマ「サインはV」で、主人公の宿敵チーム「レインボー」の選手として出演、その後東京12チャンネルの『ワン・ツウ・アタック!』、『レッツ・ゴー・ミュンヘン!』に出演した。
日活がロマンポルノへと路線を転向した1971年、『セックス・ライダー 濡れたハイウェイ』(蔵原惟二監督)でポルノ映画の主役を飾る。白川和子、片桐夕子に次ぐ「ロマンポルノの星」として売り出され、初期ロマンポルノを代表するスターへと成長する。

しかし、ロマンポルノ出演2作目の『ラブ・ハンター 恋の狩人』(山口清一郎監督)が、上映最終日の1972年1月28日、同時上映の2作品とともに猥褻図画として警視庁に摘発される。また同年4月公開の主演作『愛のぬくもり』(近藤幸彦監督)も、公開期間中の1972年4月28日に摘発を受けた。

関係者の一人として田中も厳しい取調べを受けるが、出演作がたて続けに摘発されたことから「警視庁のアイドル」という蔑称をうけた。その後のいわゆる「日活ロマンポルノ裁判」の過程で、田中は「エロスの女闘士」として反体制の象徴のような存在となっていく。

翌1973年に出演した山口清一郎監督の『恋の狩人 欲望』が、係争中の事件をなぞるような作品であったため、会社側は過敏に反応。次回作としてクランクイン直前であった『恋の狩人 淫殺』は製作中止となった。その後、田中は退社、山口は解雇となった。田中の日活ロマンポルノでの実質的な活動期間は1年半ほどの短いものであった。

しばしのブランクの後、1977年には「同志」山口清一郎監督のATG作品『-北村透谷- わが冬の歌』に出演。テレビ出演も増え、NHKのドラマ『愛の二章 水の女』で主役を演じるなど、本格派女優への脱皮を図ったが、1980年代初頭を最後に芸能活動から離れている。

「日活ロマンポルノ裁判」は、1978年6月23日、東京地方裁判所が無罪判決を下すも、検察側が控訴。1980年7月18日、東京高等裁判所により再び無罪判決が下され、検察は上告を断念した。
(出典:Wikipedia「田中真理」)

田中真理

田中真理

ロマンポルノの名が世間を騒がせるとき、その大半がネガティブな場面だったことは否めない。  その最たる例が「日活ロマンポルノ裁判」と呼ばれた訴訟事件だ。  同事件は、72年に公開された『愛のぬくもり』、『恋の狩人 ラブ・ハンター』、『OL日記 牝猫の匂い』、『女高生芸者』の4作品(『女高生芸者』のみ併映のピンク映画)が警察庁に摘発され、監督ら6名が「わいせつ図画公然陳列罪」で起訴された騒動である。  一連の裁判でヒロインに躍り出たのは、『愛のぬくもり』と『恋の狩人〜』に主演した田中真理だった。彼女は『恋の狩人〜』の山口清一郎監督とともに裁判闘争に参加し、法廷でポルノ擁護論を展開し続けたのだ。  結果、78年に東京地裁から下された判決は全員無罪の完全勝訴。対して検察側が控訴したが、これも東京高裁によって棄却される運びとなった。  この「日活ロマンポルノ裁判」を契機に"エロスの女闘士"と呼ばれるようになった田中真理は、若者層をはじめ全共闘運動の学生からも偶像視され、大学祭のゲストに招かれるポルノスターとなったのだった。

http://www.menscyzo.com/2009/10/post_340.html

にっかつロマンポルノ回顧録(5) ロマンポルノの影響力 - メンズサイゾー

『恋の狩人・ラブハンター』

「田中真理」主演の映画「愛のぬくもり」(昭和47年4月・日活)

田中真理の主演映画第1作「セックス・ライダー/濡れたハイウェイ」(昭和46年・日活)

史上最年少のポルノ女優「山川レイカ」(当時16歳)主演の映画『青春トルコ日記 処女すべり』(1973年)

東映は山川を"史上最年少のポルノ女優"というキャッチフレーズで売り出しマスコミでも話題となった。

史上最年少のポルノ女優「山川レイカ」(当時16歳)

1973年3月、当時16歳の山川レイカを主演に、荒木ミミ、岡田奈津子出演の『㊙昇天トルコ風呂』(監督:野田幸男)の撮影が始まった。 東映は山川を"史上最年少のポルノ女優"というキャッチフレーズで売り出しマスコミでも話題となった。 ところが東映が調子に乗って映画の宣伝を兼ね、TBSの大人向け深夜番組に出演させ、前景気を煽ろうと山川を脱がせ反響を呼んだが、この番組を見た視聴者から「18歳未満入場お断りの成人指定映画に、年齢もいかぬ16歳の少女を出演させていいものだろうか」との投書が新聞記事になった。 当時日活ロマンポルノが警視庁に摘発されたこともあって(日活ロマンポルノ事件)、この記事にびっくりした東映が八分通り完成していた映画の製作を中止した。 映画の内容もヤクザの情婦になった山川がトルコ風呂で荒稼ぎ、殿山泰司、小松方正といった、その道のベテランを相手に泡踊り、二輪車、大車輪といったフルコースを披露する、現在では製作されることはまずない内容だった。 1975年に山川が18歳になり公開しても問題にならないという見解で公開を決定、映画は未完成だったため、ストーリーの辻褄を合わせるため編集でごまかし『青春トルコ日記 処女すべり』と改題して公開した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E6%98%A0%E3%83%9D%E3%83%AB%E3%83%8E

東映ポルノ - Wikipedia

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