『映画女優』・戦前と戦後復興時期(生誕1920年代まで)の「明治・大正・昭和の美人女優」の歴史

『映画女優』・戦前と戦後復興時期(生誕1920年代まで)の「明治・大正・昭和の美人女優」の歴史

日本映画史上、最高の大女優・名女優として評価される「高峰秀子」さん他24名の戦前・戦後の復興時期の映画界を盛り上げた映画女優をおさらいしていきましょう。生誕順(1890年から1929年まで)。映画女優の始まりです。


五月 信子(さつき のぶこ、1894年(明治27年)2月13日 - 1959年7月21日) ヴァンプ女優の第一号。初期の松竹蒲田の看板女優。

五月 信子(さつき のぶこ、1894年2月13日 - 1959年7月21日)は、日本の女優。本名・御手洗忍(旧姓名・前川しのぶ)。
新派から映画界に転じ、創成期の松竹蒲田で活躍。川田芳子・栗島すみ子と並ぶ看板スターとして知られた。また、舞台女優としても劇団「近代座」を結成し、多くの後進を育てた。

翌1921年、当時松竹直営となっていた大阪千日前の楽天地で『新トスカ』に出演中、創立間もない松竹キネマ蒲田撮影所所長の田口桜村にスカウトされ、映画界入り。

同年7月の帰山教正監督『愛の骸』で、諸口十九と共演して銀幕デビューを飾る。続く田中欽之監督の『悪夢』で関根達発・諸口十九と共演し、3本目の野村芳亭監督・栗島すみ子主演の『法の涙』で芸者・春次を演じて認められた。

翌1922年の賀古残夢監督『金色夜叉』では、諸口の貫一、川田芳子のお宮に対し、驕慢な女高利貸し・赤樫満枝を好演し、ヴァンプ女優として評価されるようになる。

同年の吉屋信子原作・賀古監督『海の極みまで』では、鳴尾少将令嬢・靖子を演じ、川田芳子・栗島すみ子と共演。

信子・川田・栗島の3人は、やがて初期蒲田映画を代表する女性スターの地位を獲得することになるが、忍従型の芸者役を得意とする川田、純情可憐の娘役を持ち役とする栗島に対し、信子は妖艶な肉体を生かしたヴァンプ役や、社会劇や文芸作品での近代的な役柄に個性を発揮した。

出典 五月信子 - Wikipedia

五月 信子(さつき のぶこ、1894年(明治27年)2月13日 - 1959年7月21日)

五月 信子(さつき のぶこ)

川田 芳子(かわだ よしこ、1895年(明治28年)10月17日 - 1970年3月23日) 初期の松竹蒲田の看板女優の第一号

1895年(明治28年)10月17日、新潟市の花街・古町に踊りの師匠の娘として生まれた。11歳のとき、一家で上京し、藤間勘翁に師事した。新橋から芸妓になった後、川上貞奴に預けられ、「川上芳子」の芸名で貞奴一座の『八犬伝墨田の高楼』(帝国劇場)で初舞台を踏んだ。以降、貞奴と行動を共にし、新派の舞台で活躍した。

松竹の新派などを経て、1920年(大正9年)、その美貌をかわれて創立早々の松竹蒲田撮影所にスターとして迎えられる。同年、ヘンリー・小谷監督の『島の女』に主演、スター女優の第1号となった。

当時の人気俳優諸口十九とコンビを組み共演作を次々と発表、この二人の人気は、栗島すみ子・岩田祐吉のコンビと並んで松竹蒲田のドル箱コンビだった。

出典 川田芳子 - Wikipedia

川田 芳子(かわだ よしこ、1895年(明治28年)10月17日 - 1970年3月23日)

特8291/(松竹)川田芳子 | 電脳回覧板ふみくら

映画『妖婦五人女』(1926年)宣伝用写真から。左から、栗島すみ子、松井千枝子、川田芳子(中央)、筑波雪子、柳さく子

栗島 すみ子(左)と川田 芳子(右)

英 百合子(はなぶさ ゆりこ、1900年3月7日 - 1970年2月7日) 日本初の本格的映画女優。

英 百合子(はなぶさ ゆりこ、1900年3月7日 - 1970年2月7日)は日本の女優。広島県呉市吉浦町出身。日本初の本格的映画女優といわれる。同じ女優の永井百合子は柳永二郎との娘、俳優の長谷部健は中野英治との息子。

1920年国際活映に入るが同年10月、小山内薫が松竹キネマ研究所を設立した際に招かれて参加。小山内は、日本で最初の本格的女優の育成を開始したが、その第一作として製作した『路上の霊魂』に別荘の令嬢役で主演した。

英はメアリー・ピックフォードに代表される当時のハリウッド女優の視覚的模倣を意識的に行なった。その演技は当時「バタ臭い」とも揶揄されたが、それは英の演技が、アメリカ女優のように表情豊かなもので、日本の映画俳優の演技がここに至ってようやく伝統から脱し「型」の演技から自然な「表情」の演技へと変遷しているといわれる。

その後松竹蒲田撮影所へ入社し1922年、『散りにし花』に主演。当時は流行の最先端をいくモダンガールのひとりで、令嬢役や妖婦役を得意とした。

出典 英百合子 - Wikipedia

英 百合子(はなぶさ ゆりこ、1900年3月7日 - 1970年2月7日)

松竹映画の中で現存するもっとも古い作品「路上の霊魂」(1921年4月8日・松竹キネマ) 別荘の令嬢 役を演じる英百合子(はなぶさ ゆりこ)

『路上の霊魂』(ろじょうのれいこん)は、1921年(大正10年)に製作・公開された日本映画である。松竹キネマ研究所の第1回作品で、松竹キネマ合名社が配給した。

1921年(大正10年)4月8日、徳川夢声の説明で赤坂第一松竹館で封切られた。2つの物語を並行的に描く手法や、寛容と不寛容を主題としていることから、『イントレランス』の影響を受けているとみられるが、バタ臭さが目立ち、実験的試みの域を出ることができず、興行的にも不振に終わった。

しかし、歌舞伎や新派の影響を完全に受けていた従来の日本映画とは全く異なる、画期的な作品となり、後の日本映画界に少なからずも影響を与えた。

現在、作品は完全な形で現存しており、東京国立近代美術館フィルムセンターが所蔵している。そのため松竹映画の中で現存するもっとも古い作品となっている。2005年(平成17年)にポルデノーネ無声映画祭で上映された。

「路上の霊魂」(1921年4月8日・松竹キネマ) 別荘の令嬢 役を演じる英百合子(はなぶさ ゆりこ)

栗島 すみ子(くりしま すみこ、明治35年(1902年)3月15日 - 昭和62年(1987年)8月16日) 初期の松竹蒲田の看板女優の第二号

栗島 すみ子(くりしま すみこ、明治35年(1902年)3月15日 - 昭和62年(1987年)8月16日)は、明治・大正・昭和期の女優。日本映画界初期の人気女優である。日本舞踊水木流家元水木歌紅でもある。

大正10年(1921年)2月、松竹蒲田撮影所に入り、ヘンリー小谷監督の『虞美人草』に当時の人気俳優岩田祐吉の相手役としてデビューした。

岩田とはのちに『船頭小唄』などで共演し、諸口十九・川田芳子のコンビと並ぶ松竹のドル箱コンビとして活躍、人気を得た。主に悲劇もののヒロイン役で活躍し、川田、五月信子と並ぶ初期の松竹蒲田のスター女優となった。

出典 栗島すみ子 - Wikipedia

栗島 すみ子(くりしま すみこ、明治35年(1902年)3月15日 - 昭和62年(1987年)8月16日)

栗島 すみ子(くりしま すみこ)

栗島 すみ子(くりしま すみこ)

田中 絹代(たなか きぬよ、1909年11月29日 - 1977年3月21日) 松竹の看板女優。黎明期から日本映画界を支えた大スター。

黎明期から日本映画界を支えた大スターであり、日本映画史を代表する大女優の一人。

小津安二郎、五所平之助、溝口健二、成瀬巳喜男、清水宏、木下惠介ら大物監督に重用され、約260本の作品に出演した。14歳で松竹に入社し、清純派スターとして人気を得て、松竹の看板女優となった。

戦後は年齢を経るに従って演技派として成長し、脇役を演じることが多くなるも円熟した演技を見せ、晩年は『サンダカン八番娼館 望郷』の演技でベルリン国際映画祭最優秀主演女優賞を受賞した。

主な作品に『マダムと女房』『愛染かつら』『西鶴一代女』『雨月物語』『煙突の見える場所』『楢山節考』『おとうと』など。また、映画監督としても6本の作品を残している。

田中 絹代(たなか きぬよ、1909年11月29日 - 1977年3月21日)

『マダムと女房』(まだむとにょうぼう)は、1931年(昭和6年)公開の日本映画である。五所平之助監督。松竹蒲田撮影所製作。日本初の本格的なトーキー映画でもある。もとの題名は『隣りの雑音』。

1927年にアメリカで世界初のトーキーといわれる『ジャズ・シンガー』が公開されると、日本でも各映画会社は研究を開始した。松竹蒲田撮影所長の城戸四郎はトーキーの導入に熱心だった。1931年に土橋武夫・土橋晴夫兄弟が国産の「土橋式」トーキーの開発に成功し、これを受けて城戸は本作を製作。日本初のトーキー映画となった。全編同時録音で撮影され、カットの変わり目で音が途切れぬよう、3台のカメラを同時に回して撮影された。
初のトーキー映画を意識しているらしく、全編にわたってラジオの声や、猫の鳴き声、目覚まし時計の鳴る音など日常生活の音がたくさん取り入れられている。

1931年度のキネマ旬報ベストテンで第1位にランクインされた。2013年2月11日にNHK BSプレミアムで山田洋次監督が選んだ日本の名作100本の1本として放送された。

日本初の本格的なトーキー映画『マダムと女房』(1931年)左から市村美津子、渡辺篤、田中絹代

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