『映画女優』・戦前と戦後復興時期(生誕1920年代まで)の「明治・大正・昭和の美人女優」の歴史

『映画女優』・戦前と戦後復興時期(生誕1920年代まで)の「明治・大正・昭和の美人女優」の歴史

日本映画史上、最高の大女優・名女優として評価される「高峰秀子」さん他24名の戦前・戦後の復興時期の映画界を盛り上げた映画女優をおさらいしていきましょう。生誕順(1890年から1929年まで)。映画女優の始まりです。


高峰 秀子(たかみね ひでこ)

映画『浮雲』の森雅之、高峰秀子

高峰 秀子(たかみね ひでこ)

高峰 秀子(たかみね ひでこ)

高峰 秀子(たかみね ひでこ)

三條 美紀(さんじょう みき、1928年8月25日 - 2015年4月9日) 若尾文子、山本富士子登場までの大映を支えた。

三條 美紀(さんじょう みき、1928年8月25日 - 2015年4月9日)は、日本の女優。本名:佐藤 幹子(さとう みきこ)。旧芸名は三条 美紀。京都府京都市右京区嵯峨天竜寺北造路町出身。血液型A型。父は俳優で大映の部長も務めた佐藤圓治。娘は元女優の紀比呂子。オフィスまとば所属。

大映東京撮影所経理課に勤務していたが戦後になり大映がスターを発掘する中、永田雅一ら社内上層部の目に留まり演技課へ異動、1946年に映画『君かと思ひて』で女優デビュー。芸名は本名をもじってつけられた。
三益愛子の『母ものシリーズ』をはじめ、黒澤明監督の『静かなる決闘』や山本薩夫監督の『暴力の街』や阪東妻三郎の『王将』などで活躍する。若尾文子、山本富士子登場までの大映を支えた。

1952年(昭和27年)1月5日、同1月10日から開催された南米のウルグアイでのウルグァイ国際映画祭に出席のため東京国際空港(羽田空港)を出発、当時はまだ海外渡航自由化の遥か前で大変貴重なウルグアイ訪問となった。

1955年(昭和30年)に東映に移籍し1960年代からはテレビドラマにも活躍の場を拡大、近年も2時間ドラマなどに出演した。

2015年(平成27年)4月9日、うっ血性心不全のため東京都内の自宅で死去した[3][2]。86歳没。

三條 美紀(さんじょう みき、1928年8月25日 - 2015年4月9日)

三條 美紀(さんじょう みき)

三條 美紀(さんじょう みき)

三條 美紀(さんじょう みき)

若山 セツ子(わかやま せつこ、1929年6月7日 - 1985年5月9日) 元祖アイドル的な存在

若山 セツ子(わかやま せつこ、1929年6月7日 - 1985年5月9日)は日本の女優。東京府東京市中目黒出身。本名は坂爪セツ子。映画監督の谷口千吉は元夫。初期の芸名は若山セツコ。実践高等女学校卒業。

1946年、東宝ニューフェイス第1期生として東宝へ入社。デビュー作は『四つの恋の物語』(1947年)。
1949年の『青い山脈』で丸メガネの女学生・和子、『次郎長三国志』シリーズの次郎長の女房・お蝶を演じた。戦後第一期の東宝を代表する清純派スターで、その明るいキャラクターは今も多くの名作の映像に残されている。

1956年に谷口と離婚。1961年に病気で引退するが、その後1971年に週刊誌に取り上げられたのがきっかけで復帰。夜の番組や、『お祭り銀次捕物帳』にレギュラー出演したが、次第に奇行が見られはじめ、1973年に出演した『婦系図・前後篇』が最後の出演となった。

1984年に共に暮らしていた母(それ以前に姉も失っていた)を亡くしてから精神状態が悪化、強制入院させられてから1ヶ月後の1985年5月9日、東京・調布市の病院で首吊り自殺する。享年55。80代としか思えないほどのやつれぶりだったという。
(出典:Wikipedia)

若山 セツ子(わかやま せつこ、1929年6月7日 - 1985年5月9日)

若山セツ子(右)と桂木洋子(左)

若山セツ子(右)、喜多川千鶴(左)

1930年代:八千草薫(1931年)、岸 惠子(1932年)、若尾文子(1933年)・・・佐久間良子(1939年)
に続く・・・

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